神社仏閣


東大寺南大門:ここを通ると奈良時代天平の頃にタイムスリップします。こんなに大きな門をどうやって創ったのか、なぜ創ったのか。いろんなことを想像します。華厳経の盧舎那仏も世界最大・・・大きいということに意味があると思います。現代では細かく小さいことに偏った思想が蔓延しているような気がしてなりません。













金閣寺:言わずと知れた金閣寺です。この華やかな当時、一休禅師も見て知っているとおり、貧民は飢えて死に、その屍は鴨川に捨てられていたそうです。華やかな文化の頂点の下には、それを支えた貧民の死体があったのだと想像してしまいます。













東寺の五重塔:
京都駅に近く、町中にポツンと目立ちます。いつ見ても厭きないですね。建武の新政に、ここに足利尊氏が本陣をおき、新田義貞に攻められ、東大門を閉めました。その門のことを開かずの門(不開門)と呼んでいます。












太宰府:夏草や兵どもが夢のあと と思わず口ずさんでしまいます。 祈念碑と当時の建物の基礎しか残っていませんが、昔、いろいろあったと思います。空海、菅原道真、元寇・・・









石塔寺の三重石塔:石塔寺は滋賀県にあります。聖徳太子創建の寺といわれています。この寺は石塔が多くて、朝鮮の渡来人が建てたのではないかと僕は想像します。白村江の戦いで百済と倭の連合軍が唐と新羅の連合軍に敗れて、百済の難民が倭の近江に渡来したのではないかと思います。いずれにしてもこんなに石塔ばかり多いのは、何か理由がありそうです。どなたか知っている方はメールで連絡して頂けると幸いです。また、安土桃山時代の頃、織田信長が安土城を築きましたが、その築城に石塔寺の石が使われたそうです。本能寺の変後、安土城は徳川家康臣下の忍者服部半蔵(宣教師ルイスフロイスの説では織田信雄)の手の者に焼き打ちに遭い、今では基礎しか残っていません。しかし、信長が狩野派の絵師に描かせた「安土山図屏風」(安土城が描かれている)は、宣教師のヴァリニャーノに渡り、遣欧少年使節の手で当時のローマ法王に献上されました。暫くはバチカン宮殿に展示されていましたが、今日では見られないそうです。もし、これが発見されたならば、世界美術の一級品となるようです。






千里ヶ浜の児誕石:ここは長崎県の平戸にあって、時代は江戸時代初期の鎖国令を布告していた頃のこと。田川マツがここで産気づいて鄭成功を生みました。平戸以外の長崎県人でも鄭成功を知らないんだから、誰も知らないと思うとそうでもない。この鄭成功は近松門左衛門作の「国姓爺合戦」に登場する主人公和唐内のことです。歌舞伎を鑑賞する方は、よく知っていると思います。鄭成功の父は明国人の鄭芝龍で日本甲螺として東シナ海から南海の海上権を一手に握る大貿易商でした。因みに日本甲螺の初代は浄海王と名乗った王直で、この人は最初に鉄砲を種子島に伝えたポルトガル人の水先案内をしました。そして鄭成功は台湾をオランダから奪回して、中国、台湾から英雄と称えられ、映画にもなりました。












三徳山三佛寺の投入堂:冬に三佛寺に行ったときは、国宝投入堂まで登れませんでした。ここは冬季、雨、一人の時は、入山禁止なのです。
一人旅の僕にとっては、致命的です。なんとかならないかと思い、清水住職に訊いてみると、受付所で待っていれば、次々と入山者が来られるので、一緒に登って頂くことになるそうで、特に土曜日、日曜日は混み合うぐらい入山者が多いので、同伴者はすぐに見つかるそうです。早速、日曜日、好天でしたので早朝から高速バスに乗って三朝温泉口まで行き、そこから三徳山参道入口まで路線バスで行ったけど、僕の他に登山者らしい人は誰も乗っていなかったので、不安でした。三佛寺の受付に着くと靴底のチェックをされ、「一人では登山禁止だけど、受付所に行けば同伴者が居ますよ。」ということで受付所に急いで行ったら受付のお坊さんが「一人ですか、あなたと同じ境遇の人が居るから一緒に登って下さい。」そして、お互いに自己紹介をして、二人で登って行きました。私の同伴者は、香川県出身で長町という名の中年男子でした。草鞋を履いていました。1時間半くらいで投入堂に到着しましたが、途中に鎖坂あり、梵鐘あり、滑落現場ありで息を切らしながら、長町さんと楽しい会話をして登りました。
「こんなに重たい梵鐘を誰がどうやって運んだのかなぁ」と言うと、長町さんはすかさず「米軍がヘリコプターで吊り上げたんだよ」と笑みを浮かべて答えました。長町さんは面白いことをいう人だなと親しみを感じました。この写真は長町さんが撮ってくれました。投入堂の内部には入れませんでした。また、誰がどうやって建てたのか想像もつきません。一説では役行者が岩窟に法力でもって投げ入れたとも云われています。帰りは下り坂をバスの発車時刻に間に合うように急いで下山しましたが、長町さんは親切にも僕に歩調を合わせてくれました。長町さんとは初めてお会いしたのに、すぐに親しくなりました。前世で会ったことがあるのかな。途中で出遇った若い人の草鞋をみて、「紐を一本通して結んでやると草鞋が足によく馴染むよ」と言って、紐を分けてあげて結び方を教えていました。また、投入堂の写真集を登山者に見せて解説していました。僕は投入堂に初めて登った感動よりも、長町さんに遇えた縁の方に感激しました。長町さんに出遇えなかったら、投入堂まで登れなかったのだから・・・・・・