風 景

九十九島:僕の生まれたところは、長崎県西海の九十九島が見える佐世保市椎木町です。九十九島の夕陽は、映画ラストサムライの背景になったほど美しいですよ。
ひょっこりひょうたん島:瀬戸内海をフェリーで渡っているときに、ひょうたん島が見えてきました。小学生の頃、テレビ番組でよく見たんだけど、ドンガバチョどうしてるのかな。
伊豆下田:遊覧船からも見たんだけど、山頂からだと全体が見えますね。幕末に米国ペリー艦隊が下田港に入港し港内の島に係留していました。その時、長州の吉田松陰と友人の金子重之助が密かにペリー提督が座乗するポウハタウン号に乗船して米国に渡航しようと哀願しましたが却下され、海岸に送り返され、提督病没の翌年1859年の安政の大獄時に吉田松陰は密航しようとした罪により江戸伝馬町の刑場の露と消えました。ペリー提督と吉田松陰は直接会うことにはならなかったのですが、提督としたら幕府と和親条約を結んだ直後なので、日本人の国禁破りに手を貸せば、その後の日米関係が元に戻ってしまう危険性を避けようとして、吉田松陰らを陸に返したのだと思います。29歳で死罪となった吉田松陰がもっと長く生きていたら、その後の明治維新、明治政府はどうなっていたんだろう。吉田松陰も尊敬する人物の一人です。
妙義山:僕の一人旅の最初は群馬県の妙義山ハイキングです。写真は奇岩で有名な妙義山の第4石門です。下仁田から妙義山でカニの横ばいと石門巡りの後、妙義神社で一息ついたら水車が見えてきました。水車の宿玉屋さんで部屋を案内されて山菜の佃煮とお茶で一休み、テーブルには「真っ直ぐに伸びるには、あなたの支えが必要です」と書かれた朝顔の絵が置いてありました。お風呂の湯には菖蒲が入っていて、十分浸かって汗をかいた体を洗って、さっぱりとしました。そして夕食。メニューは神前料理を中心に下仁田ネギを使ったすき焼きに岩魚の骨酒。熱い料理や冷たい料理が出される間の折り紙の「やっとこ」は一人旅の僕を元気にしてくれました。寝床には足の裏用のサロンパスまで用意してくれて、ぐっすり就寝できました(冬の時は湯たんぽで温もりを感じました)。朝、起きて部屋の扉を開けてみたら、なんとヤクルトと「おはようございます」と書かれた色紙が置かれていました。朝食は、菅原道真もよく食していたという小粥。女将さんが湯豆腐や山菜の天ぷらをよく饗してくれました。今では西洋タンポポに押されて貴重な日本原産のタンポポの天ぷらですよと説明してくれました。また、水車の宿玉屋さんで宿泊して妙義山をハイキング、下仁田の宿でこんにゃくのフルコースを頂いて、次の日には荒船山に登って帰宅するという逆コースも体験しました。

那智の滝:この滝を見ていると心が洗われるような気がします。この滝の下流の海岸には補陀洛山寺があります。補陀洛渡海信仰といって小舟に補陀洛山寺の住職を乗せて南の観音浄土へ渡海させるということを江戸時代まで続けていたそうです。生身の人間が小舟の上甲板の下に潜り込み、外から民が扉を釘で打ち込んで、その小舟を南海に流し即身成仏するという究極の行です。現在では、亡くなられた住職を小舟に乗せて海に流しているそうです。
西伊豆の戸田:幕末の頃、米国のペリー黒船艦隊に負けてはならないとロシアのプチャーチン艦隊が日本に来港した際、東海地震の津波のため船が伊豆半島沖で難破しました。西伊豆の戸田で日本の船大工により西洋型((キール:船の背骨に当たる構造材)を持っている)の船を初めて造り、プチャーチンらは、これに乗ってロシアに無事に帰りました。お礼としてプチャーチンの娘は戸田に行き、寄付や贈り物をしたそうです。プチャーチンが見ていた富士山は、なんと美しいことか。戸田から見た美しい富士山です。

南房総の白浜:関東に住んでいた頃、南房総に一人旅によく出かけました。南房総ではアワビ、サザエ、伊勢エビがとても美味しくて何度も旅行しました。特に東京湾フェリーを利用して三浦半島の久里浜から房総半島の金谷を船旅、金谷から鋸山頂上までハイキング、日本寺の石仏を見学して電車とバスを乗り継いで房総半島南端の白浜にたどり着いた時の想い出は、いつまでも忘れられないです。白浜の季粋の宿紋屋さんで枇杷の葉の温泉に浸かった後のアワビの水貝はもう最高!お酒が進んで爆睡、早朝に何気なく海を眺めていたら、なんと微笑ましいライオン夫婦(*^_^*)
私市の月輪の滝:大阪府枚方市に住んでいた頃は、隣町の交野市私市(かたのしさきいち)の星のブランコ、獅子窟寺、磐船神社、月輪の滝、石仏の路へハイキングに数回行きました。獅子窟寺へは国宝 薬師如来座像を拝もうと元旦に行ったところ1630に到着したので、閉まっていました。1月3日まで時刻は1600まで薬師如来座像を公開しているとのことで3日に再度行って、暗くてよく見えなかったのですが、国宝と思わせる均整のとれた風格の仏像に無病息災を祈ってきました。また途中、獅子窟寺の所領だった神聖な月輪の滝につい見とれてしまい、古代の修行者は、この滝に打たれて瞑想していたんだと思うと便利さだけを追求している現代とのギャップを感じました。古いことが新しいことよりも必ずしも劣っているとはいえませんね。